ライスマイル

ZOJIRUSHI
ライスマイル コミュニティ
ライスマイルについて
アスリートの源は、ごはんにあった!

Vol.5

元体操五輪代表 米田 功さん

体操男子のキャプテンとして参加したアテネ
オリンピックでは、28年ぶりとなる団体金メダル、
種目別の鉄棒では銅メダルを獲得。現在、未来の
オリンピック選手の指導にあたっている米田さんが、
ごはんへの深い愛情とごはんにまつわる思い出を
語ってくれたよ。

幼少

高校時代

体が小さく、
食も細かった僕を
支えてくれたのが
ごはんでした。

幼い頃の思い出の食べものは何ですか?

米田

パッと思いつくのが、おかゆと雑炊です。実は僕、小児喘息もあったりして子どもの頃は体がとても弱く、食もかなり細かったんですね。母から聞いた話だと、お医者さまにすすめられたのがこの2つ。僕としては食べるのが嫌いなわけでも、偏食があったわけでもなく、ただ量が食べられなかっただけなので、スルスルと食べやすいのがうれしかったですね。7歳のときに体操を始めたのも、体が弱いことが原因で僕がいじめられるんじゃないかと、母が心配したから。担任の先生が校庭で鉄棒をしている僕を見て、母にすすめてくれたことが決め手のひとつでした。児童をよく観察してくださっていた先生に感謝です。

体操をはじめてからは、
食べる量は増えましたか?

米田

体操はすごく楽しくて、夢中になっているときは喘息の発作も起きず、かなり元気になりました。ただ、あいかわらず量が食べられず、食べるのも遅かったので、給食は居残りして教室の後ろで食べていました。そう聞くと辛そうですけど、不思議とへっちゃらで、食べることが嫌いにもなりませんでした。当時、給食はパンが多かったですけど、家では3食とも大好きなごはん。自家製の梅干しとゆかりのふりかけがごはんの友でした。そうそう、体操クラブの合宿に行くと、体が小さかった僕を心配してみんながごはんを分けてくれてたんですね。あまりにも大量でプレッシャーになったこともありましたが(笑)、それが元気な体の源になりましたね。

その後、全国で活躍されるように
なってから、食生活は変化しましたか?

米田

小学3年生のときに関西で1番になり、周囲からも期待されるようになってからは、自分でももっと健康になりたい、もっと強くなりたいという気持ちが芽生えてきました。当時、自分なりに考えて食べていたのがほうれん草とちりめんじゃこ。ほうれん草は「ポパイ」の影響です。とはいえ、ちゃんと勉強したわけではなく、基本的には好きなものを思いつくままに食べていました。清風高校に進学してからは家を出てチームメイトと暮らすようになりましたが、ハードな練習の中で楽しみにしていたのが、白いごはんにシーチキンとマヨネーズを混ぜた、自作の間食です。

大学

現役まで

社会人になり、
食に対する意識が
大きく変化。

大学生になって、
意識の変化はありましたか?

米田

大学までは高校からの延長のような毎日でしたが、変化したのは社会人になり、東京・赤羽にある「国立スポーツ科学センター」を練習の拠点にしてからです。そこには食堂が完備されていて、スポーツ栄養学に詳しい管理栄養士さんが食べたものをチェックした上で、的確なアドバイスをくれるんですね。食べものによる体の変化は、ある程度時間がたたなければ実感できませんが、食事を考えることと練習することが同一線上にあることが、そのときにスッと腑に落ちたのです。強くなるための練習は体育館の中だけではないことを知り、意識がかなり高まりました。

体操に適した体をつくるために、
食事制限はありましたか?

米田

ご存じのように、体操には筋肉が必要ですが、ある程度体の軽さも求められます。水でも太る、なんて苦労するチームメイトもいましたが、僕は幸いなことにどんなに食べても太らない体質。逆に食べないとどんどん筋肉が落ちてしまうので、筋肉をつくるためにバランスのいい食事をしつつ、それに加えて好きなものをできるだけたくさん食べる毎日でした。練習に集中するために、例えば横になってテレビを観るとか、友達とだらだらおしゃべりをするとか、体操に必要のないものは制限するストイックな生活をしていたので、食べることだけが制限せずに楽しめる唯一のものでもありました。

そんな当時、
定番のメニューはありましたか?

米田

白いごはんに合うおかずが好きで、特に豚のしょうが焼き! 食堂のメニューにあれば必ず注文していました。外でよく食べていたのは、親子丼。良質タンパク質と炭水化物が一緒に摂れるというメリットもありますが、単純に、甘辛いたれと白いごはんの組みあわせが好きでした。好きが高じて、料理をしない僕が唯一できる料理になりました。あと気持ちが上がったのが、炊きあがりのごはんが出てきたとき。やっぱり食堂だとなかなか機会がないので、めぐり合ったときはごはんだけで食べるのが最高のごちそうでしたね。本当の意味でお米のおいしさに気づいたのは、この頃だと思います。

試合のときの勝負めしはありましたか?

米田

決めると逆にストレスになるので、勝負めしはありませんでした。ただ、試合ではエネルギーをとても消費するので、ガス欠にならないように当日は炭水化物を中心に摂るようにしていました。アテネオリンピックのときは、本部が用意してくださったおにぎり。おにぎりって食欲がなくても食べられるし、すごくパワーが出るんです。何も入れないのも好きでしたけど、入れるなら梅干しかシーチキンマヨネーズ。昔から一緒です。(笑) ごほうびめしは、外食。親子丼、かつ丼、お寿司、あとは中華料理が多かったです。

現在

今も基本はごはん。
家族で囲む食卓が
1番の幸せ。

指導されるようになって、
どんなことを意識されていますか?

米田

僕自身、管理栄養士さんとの出会いで意識も体も成長しましたし、若い選手たちに上を目指そうという意識が芽生えたときに、それを栄養面からサポートしてくれる人がいないのはもったいないと。だから、今のクラブに所属したときに、最初にやったことが管理栄養士さんに参加していただくことでした。選手たちは食事を選ぶときも、体操に対する意識を持てるようになりましたし、より高い位置へのモチベーションにも繋がっていると思います。スポーツ界全体でもその意識が高まっていますし、これからは僕たちの頃よりももっともっと強い選手が生まれると信じています。

ところで、
引退されて体は変わりましたか?

米田

選手時代に比べると運動量が激減したので筋肉が落ちましたし、食べても太らない体質はそれほど変わらないので、会う人会う人から「やせた?」と言われることが多かったですね。昔から食べることは好きですが、今思えば選手時代は食べることも練習のひとつだったので、引退した今は純粋に楽しむことができています。今も親子丼は大好き。近所のおそば屋さんでいつも注文しています。そしてなんといっても、家族で囲む食卓が1番の幸せ。その食卓にはやっぱりごはんが欠かせません。

わたしのベス友ごはん

ごはんに最もぴったりな
ごはんのお友「ベス友ごはん」を
米田さんがセレクト

舟納豆

今のベストは納豆です。僕は関西出身で家でも出てこなくて、イメージだけでずっと食べるもんじゃないと思っていました(笑)。いわゆる食わず嫌いです。でも、高校のときに出会った北海道出身の人がお砂糖を入れて食べていて、試しに食べてみたらおいしくて好きになりました。2年前に、知人から紹介された茨城の「舟納豆」がこれまたおいしくて、味といい、食感といい、香りといい、納豆の本当のおいしさに目覚めましたね。近くでは売っていないので、お取り寄せをしています。あまり混ぜず、ごはんにも混ぜずに、乗せて食べるのがこだわりです。

米田功さんにとって、
ごはんとは?

ズバリ「幸せを感じるもの」です。特に、炊きあがりのごはんが大好き! 炊飯器を開けたときの香りってとっても贅沢で、それだけで幸せになれます。本当は混ぜるのが正解なのですが、僕は上のほうだけをすくって食べる。ごはんは食事を豊かにしてくれるし、なくてはならないものですね。

プロフィール

米田 功 (よねだ いさお)

1977年生まれ、大阪府出身。7歳から体操を始め、中学時代に
全国大会で個人総合優勝。清風高校時代にはインターハイで
個人総合2位となる。順天堂大学進学後は数々の全国大会で優勝するも、
2000年シドニー五輪ではまさかの代表落選。その雪辱を果たし、
2004年アテネ五輪では日本男子体操のキャプテンとしてチームを
牽引し、団体では28年ぶりとなる金メダルを獲得。種目別の鉄棒でも
銅メダルを獲得した。現在は、名門・徳洲会体操クラブの監督として、
日本体操金メダル連覇に向け、後進の育成にあたっている。